Monday, July 3, 2023

Katsu-Hana & Nodaiwa Ginza

今回の帰省では、富津までお墓参りにも行ってまいりました。

すっげーど田舎なので、甥がクルマを出してくれて、母・妹・甥と儂の4人で南房へ…。
途中、館山道のサービスエリアで、念願のソフトクリームを購入!

市原にある道の駅です。
こんな場所を高速道路が通っててサービスエリアがあるなんて、隔世の感があります。

父方の祖母のお墓をおそうじした後で、母方の祖母と伯父のお墓をおまいりに。そのおかげで、30年以上お目にかかれなかった伯母に会えました。伯母は96歳ですが、背中が丸まってもまだ元気いっぱいでした。

同じミトコンドリア DNA を持った5人が一堂に会する。ちょっと感慨深かった。

 でも写真は撮らんかった。(苦笑)

お参りした帰りは、儂が希望して、とんかつ専門店へ…。
かつ波奈」木更津店です。父が健在の頃は花見川店に行っていましたが、富津まで来たら木更津だよね。

途中せっかくなので…偏差値高めで千葉真一さんやネジネジさん、浜田防衛相を排出した母校・木更津高校の横を通ってもらいましたが、半世紀経っても校舎を建て替えた様子がありません。木高、だいじょぶか?

かつ波奈木更津店の店内は、花見川店と同じ雰囲気というか、座席レイアウトも殆ど一緒。
なんだか花見川店に入ったような錯覚を覚えそうです。

でも、これには本気でびっくらこいたよ…。
通路を変なのが走ってきて「お待たせしたニャ!」とか喋ってるし。頭から草生えてるし。

横から見たら… どうやら、おかわりのごはんと豚汁を載せて配達しています。
キッチンと客席の間をかなり頻繁に行き来しているので、驚きました。

てか… こういうのって上海とか、紅い中国でしか採用されていないんだと思ってました。

「いや、ガストとかにもいますよ」と、甥。
「儂、ガストってまだ入った事が無い…」
「まぢッすか!? 伯父さん裕福すぎ!」
「『すかいらーく』なら町田の学園の頃ほぼ毎日通った」
「当時の学生が毎日ファミレス通いは贅沢だと思います」

だめだ。町田市民には何を言ってもTは坊ちゃん学園だと思われてる…。

「面白いから、もうワンカット撮ってくる!」
「伯父さん… 恥ずかしいから控えめでよろしく」

甥に諭されても、こんなロボット初めて見たから、もうちょっと見たい…。
尻の方には「かつ波奈へようこそ」の表示が流れてるし、健気な働き者です。

でもやっぱり… こういうのが稼働してるレストラン、イコール紅い中華。という刷り込みが強くて、違和感。

テーブルの上には配達ロボットの説明がありました。
「ネコ型ロボットって… 青いのかピンクのしか知らない!」
「伯父さん… 藤子不二雄の時代に育ったのが染みつきすぎ…」

しかし… この形状をネコと呼称するのは如何なものか。
配達するからクロネコなんでしょうか?
でもそれだと某社のパクリだし。そもそも紅い中華のパクリっぽいし。

撮影が済んだら、ネコ型ロボットから気分が離れました。というのも…
「あたし、それゼッタイ使わない!」と、母がとんかつソースの壺を拒絶します。

「どして? 柄杓をペロペロされてるから? それとも形状が汲み取りっぽすぎるから?」
「お兄ちゃん… そこまで具体的に聞き返さなくてもいいから!」

今度は妹に諭されました。みんなユーモアが足りなくね?

結局、母のカツは設置されたソース不要。おろしポン酢でいける奴です。
鶏ささみカツ、もう片方はヒレ南高梅はさみカツで、サッパリした風味のやつです。

妹と甥はロースカツのでっかい奴で、儂は豚と海老のコンボで。
ロースカツとジャンボ海老フライです。海老が予想以上に巨大で嬉しい驚きでした。

「うっわー!俺もそっちにしときゃ良かった!」と悔しがる甥。でも伯父さん、分けてあげない。

食器が配られた時に謎だったハサミの使い道がやっと判りました。
海老が巨大すぎて箸で対処しきれない場合、ハサミをお使いください。だったのだ…。

揚げたてサクサクで、どれも美味しくいただけました。
ソースは甘辛2種類あるし、海老用のタルタルソースも美味しく仕上がっています。

さらに、お味噌汁は豚汁が選べます。
ごはんは五穀米か白米から選べて、ごはん・豚汁・キャベツは食べ放題。
豚汁とごはんだけで食べ続けられるよね。安月給のリーマンには天国♪

甥はごはん2杯に豚汁&キャベツ1杯おかわり、儂は母や妹のキャベツをもらったうえに豚汁とキャベツおかわり。

おなかいっぱいで動きたくないほど食べました。
焙じ茶をすすってなんとか立ち直り、甥は腹一杯すぎて居眠りしそうなのをこらえながらの運転で帰宅しました。

その翌日、月曜日。甥は仕事があるから昨夜のうちに帰って… 妹と二人で銀座へ。
雨が降りそうな天気でしたが、傘は使わずに済みました。

妹のタグホイヤーやモンディーンの電池が切れたので、和光で電池交換を依頼しました。

その後… もうちょっとで「おとうさん」の店員さんにお世話をかけるところでした。
母に用意した「かんたん携帯」へ、儂がナノ SIM を入れたら… 認識されない!(泣)
仕方がないからここへ寄るつもりでいて、前夜にワンモアトライしたら起動した!!
ところで、澁谷のハチ公って、白狗だったんだよね。この「おとうさん」は、ほぼ生ハチ公そのものです。

ソフトバンクには寄らなくて良くなったから、銀座SIXでアメリカへの土産を買い付けて。

その後、そもそも妹がついてきたいちばんの理由… 銀座野田岩へ。
今日は予約がありませんが?と伝えたけど、開店早々にやってきたので無問題。

座ったら、いつものように梅酒スパークリングを強炭酸のウィルキンソンで割ります。
これで、ほろ酔い気分。お酒に強い妹は、生ジョッキでいきました。

妹の希望で、前菜とか白焼きとかはなーんも無しで、その代わり一点張りでいちばん高い鰻重を。
』というグレードです。御値段知りたい? 2023 年 6 月現在で 6,400 円です。
これなら二人で100ドルいかないから家人も文句言わない。円安バンザイ!

内部は、こうなってました…。
下のごはんが見えないくらいビッシリ敷き詰められた鰻。

トロトロに美味しい。ごはんも薄く敷かれてて、いい塩梅。そして…『西の野田岩』のタレって全然くどくないんだよね。むしろアッサリしすぎていて、儂にはもの足りないくらいです。

とはいえ、コッテリ美味しい『東の尾花』は開店待ちして靴脱いで板敷きに正座で、焼き上がり数十分待ち… 無理。

肝吸いはこんなです。
鰻重のグレードにかかわらず、肝吸いは一緒です。

コースじゃないから、鰻をやっつけたら… おしまい。
焙じ茶をいただいて、ランチ終了です。

妹を千疋屋のメロンパフェとかデザートに誘ったけど、乗ってきません。残念です。

和光へ時計を引き取りに行って…
「お兄ちゃん、今なら田舎者の婆が座ってないからディスプレイ写せるよ♪」

儂が「ちっ!田舎者の婆が邪魔で和光の夏ディスプレイを撮れないや」って言った台詞を流用されました。

「じゃあ、せっかくだから撮ります…」

性格がアグレッシヴなのは儂だけではないみたいです。

その後、三越の地下でお総菜を買い付けてから銀座線で新橋へ戻り、総武線快速で津田沼へ。
ちょっとブレちゃった…。総武横須賀線快速は東京駅でドッと降りるから、その手前で乗っておくのが正解。

無事に景色の良い上階のほうで席を見つけて、まっすぐ津田沼まで帰れました。

この後は、母と妹と一緒に熱海へ一泊、温泉旅行へ向かった様子を御覧に入れます。

3 comments:

  1. 美味しそうな写真ばかりでぐやじぃw
    ところで、このネコロボット、くら寿司にもいます!
    Cupertinoは知らんけど、Pleasantonではアルコール以外の飲み物を運んでいます♪

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  2. When I hear the name Katsu-Hana, I am reminded of your late father. Although I have never met your father, he must have been a devoted father. Whenever you arrived at Narita Airport, he would always come to pick you up, and then have lunch at ANA Crowne Plaza Narita along with taking you back to Narita Airport. He was a good father, I guess. Your visit to Futtsu for grave visitation during this homecoming trip is also a testament to his love of you. And now, your nephew is picking you up in his car... How times change.

    When I think of Minami-Boso, it reminds me of the time I stayed at my brother's apartment in Funabashi for six months and commuted to a research institution in Suido-Bashi for domestic study. My brother and I took the rapid train to Ohara on the Sotobo Line and enjoyed a day at the beach. I'm not exactly sure how we got from Ohara Station to the beach, but I remember thinking, "Summer in Chiba is extremely hot and humid."

    By the way, you mentioned that you bought soft-serve ice cream at a service area on the Tateyama Expressway. Did you really want to eat that much soft-serve ice cream? In Okayama, when I try to eat soft-serve ice cream, they always serve some fancy variety, and I find myself saying, "No, I just want the simple soft-serve ice cream from the Showa era." It seems that the soft-serve ice cream you bought is also a bit different from what we were familiar with from the Showa era. I liked the texture of eating the upper half of the ice cream and then crunching on the bottom half of the cone.

    When I was in elementary school, my late uncle took me to Minami-Boso by car a few times. From my recollection, we took the local roads continuously from Narashino, so it's truly amazing to see that there are highways running through such places, not to mention the splendid service areas. It feels like a completely different world.

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  3. You were able to see your aunt whom you hadn't seen for over 30 years. I wonder if your aunt immediately recognized you. Your current aunt is 96 years old, and even though her back is hunched, she is still full of energy. It's not only longevity but also the low incidence of dementia in your family lineage, which is a great thing.

    It must have been quite a profound experience for five people with the same DNA lineage to gather together. That's how blood ties work, right?

    When I hear the name Kisarazu, it reminds me of my time as a medical student. It's funny to think about it now, but at that time, I used to correspond with a high school girl at Kisarazu. But I think she attended a different high school from your alma mater, which had a higher entrance exam score.
    I don't remember how we got to know each other at all, but it probably started with something like a "pen pal recruitment" that was often found in the reader's column of various magazines back then. "Correspondence" is practically a dead word now, but it was quite common in the days before email got popular.

    She invited me, saying, "Please come to Kisarazu because I'll be performing at the high school cultural festival." I seriously considered it, but she seemed to have overrated me as a "good-looking medical student," so I politely declined, not wanting to shatter her dreams. If I had actually gone... would my life have changed significantly? I'm sure nothing would have changed at all (lol).

    Your alma mater, Kisarazu High School, seems to have not rebuilt its school building even after half a century. My alma mater is the same. Although, to be fair, my alma mater was a newly established school, with me being part of the first graduating class, so your school building seems older.

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